赤い袖先のソンドギムは実在した?子どもは?死因は病気?

時代劇

こんにちは、まーこです。とうとう、韓国ドラマ『赤い袖先』を観終わってしまいました。

この『赤い袖先』は2021年11月12日から2022年1月1日まで韓国MBCで放送された、朝鮮第22代王の正祖が激動の時代を生き、自分が心から愛した側室との話しです。2007年9月から9か月に渡り放映された『イ・サン』と被るところも有りますが、『赤い袖先』の方が『イサン』よりも恋愛観を強く出しているドラマの様に思いました。

ただ、どちらもハンカチでは足りないくらいの号泣になる事は間違いないですよ。

『赤い袖先』冒頭は子供時代から始まります。幼少の頃の、イサンとドギムは可愛かったです。

また成人し、2PMのジュノがイ・サンを演じソン・ドギム役をイ・セヨンが演じました。幼少期から青年期に変わった時はドギムが現代の女子のように思った事をズバズバ言うタイプには驚き、最初は我が儘のような感じがしましたが、そこがドギムの魅力なんですね。

世孫だったサンは、周りから大事にされて王様や王妃以外にサンに意見や思っていることを言う人はなかなかいなかったと思いますが、ドギムはサンを世孫とは知らず、思った事をズバズバ言ってのけます。サンも失礼な奴だと思いながらも心はドギムに想いが向かっていきます。

ある日、サンが世孫だと知ってからは、ドギムはサンを避けようとするのです。それは驚きますよね。なんと言っても最初は世孫の忠臣の兼司書だと思っていたのが世孫イサンその人だったのですからね!

そのイサンが自分にちょっかいを出してきたり、突然目の前に現れ、親しげに話しかけて来るのですから!

ドギムは必死に逃げてます。

そうすると益々、追っかけて行きたくなるのが男女の仲なんですね。サンの方がドギムの事を一日中、考えるようになりましたが、ドギムは自分らしく生きていきたいとサンに近づかない様にしていましたが、ドギムの行くところ行くところサンが居て、ちょっかいを出します。

サンはドギムに側室になって欲しかったのです。





赤い袖先の側室ドギムは実在した?

『赤い袖先』ソン・ドギムも『イ・サン』のソンヨンも正祖の側室として実在した宣嬪成氏(ウィビンソンシ)をモデルにしたドラマです。本名は成徳任(ソン・ドギム)で『赤い袖先』のドギムは宣嬪成氏の本名を役名にしています。

宣嬪成氏は正祖が最も愛した女性と言われていますが、なぜなら、正祖には、王妃の他に何人かの側室がいましたが重臣の娘だったり、両班で名家の女性から、側近たちが選んできましたが、宣嬪成氏だけは、宮女として宮中で働いている時に王様(正祖)自身が見初めて、アプローチして側室になりました。

しかし、ドラマと同じで正祖が告白をするも2度、成徳任(ソン・ドギム)は断っているのです。正祖(イサン)は思い通りにならない成徳任(ソン・ドギム)を怒る事は無く、惹かれていったのです。その感じは『赤い袖先』のドラマを観ると良くわかりますね。正祖(イサン)役の2PMのジュノとドギム役のイ・セヨンが秘めた愛を上手に演じ、最後は宣嬪成氏の深い悲しみや世祖の嘆きが伝わり

まーこは『赤い袖先』も『イサン』もどちらも号泣してしまったドラマです。



赤い袖先のサンとドギムの子供は?

朝鮮第22代王の正祖と王妃孝懿王后 金氏の間には子供が出来ませんでした。

『赤い袖先』にはあまり孝懿王后 金氏は登場したイメージはありませんが、『イサン』では王様の正祖(イ・サン)が宮女だったソンヨンの事を心から想っている事を知り、応援するような慈悲深い王妃として、描かれています。孝懿(ヒョイ)王后 金氏は朝鮮王朝時代に42人居たとされる王妃の中では、一番尊敬でき人格的にも素晴らしい王妃だったようです。しかし、子供が出来なかったのです。

そして、側室に世継ぎをと言う声が上がり、側室探しに世間では賑わいました。そんな中、『赤い袖先』ではドギムが宮女の時に王様の寵愛を受けて懐妊したのです。ドギムも心の中では王様をお慕いしていましたが、いろいろと考えて離れようとしましたのです。

しかし、情熱的な王様にはドギムが必要だったのですね。実際、史実を確認したところ、史実ではドギムが王妃(孝懿(ヒョイ)王后)と仲が良かった為、王妃に遠慮して王様からの承恩(王と一夜を共にする事)を2度も断ったと言われていますが王様(イサン)は諦めなかったのです。

イサンにとって、ソンドギムは唯一、自分で見つけてそばにいて欲しい最も愛した女性なんです。断られても断られても何度もアピールしてやっと手に入れた女性だったのですね。王様からの求愛を断るなんて、昔なら処罰されてもおかしくないのにイサンの気持ちはドギムの事を純粋に愛したのですね。素敵ですね。

そして、やっと正祖(イサン)はドギムと結ばれました。そして2人の間には5人の子供を懐妊したのです。しかし何と悲しい事にドギムは愛するイサンの5人の子供を全員、亡くすことになります。ドギムがまだ宮女の時に懐妊し2回も流産してしまいました。そして3人目にスン(文孝世子)が産まれました。イサンと孝懿王妃の間には子供が出来なかった為、ドギムとの長男が世子(文孝世子)になったのです。





 

赤い袖先のソンドギムと子供の死因は?

しかし、なんとわずか5歳で麻疹に罹り亡くなってしまいました。その時、ドギムのお腹には子を宿していたのです。

そのせいで幼い世子が麻疹で苦しんでいるときも母親としてそばに行く事さえ出来なかったのです。悲しみはそれだけでは無く、その2年前の1784年にドギムは女の子を出産していたのです。しかしその子はたった2ヶ月で亡くなってしまいました。

子供達が産まれた時は幸せいっぱいだったでしょうが、母親としてのドギムの気持ちを考えると胸が締め付けられるような、計り知れない悲しみが伝わります。(涙)

そして1786年5月11日に文孝世子が亡くなってから4ヶ月後の9月14日にドギムももうすぐ出産と言う時にお腹の子供と一緒に急死してしまったのです。子を亡くす事は母親にとっては死ぬ程の苦しみだったのだと思います。しかし、正祖(イサン)は愛するドギムと大切な我が子を亡くし悲しみのどん底に居たと思います。

朝鮮第22代王の正祖は500年続いた朝鮮王朝の王様の中でも最も波乱万丈の王様でしたが、人々から名君と呼ばれましたがその正祖も49歳の時に悪い腫物が出来、亡くなったのですが、英祖の妻、血の繋がらない祖母の貞純王后に毒殺されたと言う説も有るようです。

名君と呼ばれた正祖でしたが、波乱万丈の悲しい人生だったようにまーこは思いました。( ;∀;)

 

赤い袖先とイ・サンとの違いを3つ紹介!王妃は誰?視聴率は?はこちらからどうぞ



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