こんにちは、まーこです。今回は韓国時代劇ドラマ『馬医』に出て来る王様の事を書こうと思います。ドラマ馬医は、韓国MBCにて2012年10月1日から2013年3月25日まで放送されました。
また『馬医』の監督は『トンイ』や『イサン』『チャングムの誓い』等を手掛けた名匠イビョンフン監督の大ヒットした作品です。
『馬医』の主人公は1625年から1697年に実在した人物、そして獣医から王様の御医に上り詰めたペク・クァンヒョンの波乱に満ちた人生をモチーフにしたテレビドラマです。
そしてその王様とはどの時代かを調べたところ、なんと、馬医の主人公ペク・クァンヒョンが生まれてから、王様の御医になるまでの人生に実在した4人の王様の時代を描いた時代だったのですね。
時代背景とその時代のペク・クァンヒョンと王様との接点を探して書いてみようと思いました。
激動の時代を過ごしたり、穏やかな時代だったりと王様によっての時代の波風も変わってきますね。
馬医の時代背景はいつ?
ドラマ『馬医』の時代背景は17世紀の李氏朝鮮王朝時代の中期と思われます。17世紀と言えば政争と戦乱の時代でした。また派閥の争いで対立や陰謀が渦巻く時代だったと思います。また日本や清は朝鮮がそのような状況を良い事に隙をついて侵攻を受けたり、大変な時代だったのですね。
また、このドラマ『馬医』の中に出て来る王様は第16代王仁祖から第19代粛宗まで4人の王様が登場しますがやはり、王様によっても時代の波の違いが有ったと思います。
ペク・クァンヒョンのプロフィール
生年月日: 1625年 ー 1697年
名前: 白光炫(ペク・クァンヒョン)
父: 白哲明 (ペク・チョルミン)
妻: 昌寧趙氏、淸州韓氏
子供: 白興齡、白興聲、白興隣
出身: 白丁
馬医の4人の王様は?1人目 16代王 仁祖
朝鮮第16代王の仁祖は15代王の光海君をクーデターにより、王座を奪って即位しました。仁祖が王様として在位していた期間は1623年から1649年の26年間でした。
仁祖が在位中には後金(後の清)に侵攻を受け丙子胡乱に敗れた為に清の皇帝に土下座をしてひれ伏す行為をし、非常に屈辱的な気持ちで恨みにもなり、その思いは仁祖が亡くなるまで持ち続けていたそうです。
そして仁祖の長男の昭顕世子が人質として家族で清に送られましたが、昭顕世子はとても利口で清の皇帝からも気に入られ、交流を深め良い関係性を作った事が、仁祖自身が、清により王座を追われると思い込んでしまい、側室の昭容趙氏と手を組んで昭顕世子を殺害したと歴史上でも言われています。
またドラマ『馬医』の中での仁祖の時代はペク・クァンヒョンが生まれた当時だと思います。
主人公のペク・クァンヒョンの父親カン・ドジュンは仲の良かった3人のひとりの友人の裏切りと陰謀により世子暗殺の濡れ衣を着せられ罪人として処刑されてしまいました。本来ならば罪人の子として男の赤ん坊だったクァンヒョンも殺される運命だったのです。しかし、ペク・クァンヒョンの父親に以前医療で助けられた奴婢のペク・ソックが役人が来る前に自分の娘と入れ替えて命を助けて育てます。子供の頃から動物に興味があり、馬のお医者さんになります。
馬医の4人の王様は?2人目 17代王 孝宗
孝宗は李氏朝鮮王朝第17代の国王ですが即位前は鳳林大君と呼ばれていたそうです。父親の仁祖と母親の仁烈王后との間に次男として生まれました。
歴史上では兄の昭顕世子と一緒に清8年間も人質として清で暮らしていました。帰国後も本来ならば鳳林大君は次男で兄の昭顕世子が居る為に彼が王になる事は難しかったと思います。
しかし、昭顕世子が清から戻り、2ヶ月後に亡くなってしまった為に弟の鳳林大君が世子として冊封され、先代王の父、仁祖がなくなると王に即位したのです。
父親の仁祖からすると昭顕世子は清との良い関係を築いていましたが、鳳林大君は清に対しては父親と同じように清への反感を貫いていたようです。
仁祖は昭顕世子に対して腹を立てて抹殺したように書かれている書物も有るようです。
(馬医ではカン・ドジュンが世子を殺したと謀反の濡れ衣で処刑されてしまいます(涙)
この17代王孝宗は王の中でも特に世に残る業績は残すと言う事は無く1659年にこの世を去ったそうです。
ドラマ馬医では第3話から孝宗が登場しますがカン・ドジュンが処刑されてから12年後に孝宗は兄の死を不信に思い調査を命じるのですね。そこは、孝宗を評価する場面だとまーこは思いましたよ。
また孝宗に信頼されているイ・ミョンホンが、自分が関わっていたのを畏れてなのか、自分がカン・ドジュンを陥れた事がバレないようにか、王位継承者の世子が亡くなった事の全ての秘密を握っているイ・ヒョンイクをイ・ミョンホンが鍼で殺めるのを観てしまったクァンヒョンとヨンダルは、イ・ミョンホンの子分たちに追われてしまい必死に逃げるのです。
馬医の4人の王様は?3人目 18代王 顕宗
ドラマ『馬医』の中で一番存在感があり、ドラマの重要人物と言われたのが4人の中で顕宗でした。
また顕宗は民や国のことを思い正しい政治を行ってきた王様だったとも歴史に描かれています。
顕宗は第18代国王で、先代王の孝宗と仁宣王后・張氏との間に生まれました。父親の孝宗がまだ鳳林大君の時に兄の昭顕世子夫妻と共に鳳林大君も妻と一緒に人質になりました。そしてまだ人質として清にいる時に鳳林大君の妻、(後の仁宣大妃)は顕宗を妊娠し産みました。顕宗は朝鮮王朝の27人の王様の中で、唯ひとり、朝鮮以外で生まれた王様だったのです。
『馬医』のドラマの中では、夫の孝宗が亡くなり、顕宗が即位した後に孝宗の兄の昭顕世子が亡くなったのには重臣たちが関わって居る事を知った仁宣大妃ですが我が子、顕宗も同じように重臣たちの手に掛けられるのではないかと、懸念が有りました。
そして、顕宗は王としては珍しく側室を持たなかった王様です。顕宗の妻は明聖(ミョンソン)王后ですが、夫婦仲はとても良かったそうですが、側室を持たない王様は本当に稀だそうです。そういう意味では、明聖王后は幸せな王妃だったと思います。子供も1男3女に恵まれました。しかし、残念な事に幸せいっぱいな顕宗家族でしたが、顕宗が1674年にまさかの33歳の若さで亡くなってしまったのです。(涙)奥さんの明聖王后も計り知れない悲しみだったと思います( ;∀;)
そして、王位は長男の粛宗が継ぎました。
馬医の4人の王様は?4人目 19代王 粛宗
粛宗はドラマ『トンイ』の王様です。
『馬医』では4人の王様が出て来ますが地味で堅実な父親の顕宗とは正反対で派手で目立つ王様でした。馬医での粛宗は全てが終わった最後に出て来た王様だったので印象が薄かった方もいらっしゃるのではないでしょうか?
クァンヒョンは王様や世子の頬の腫瘍やスッキ王女の天然痘や最後まで拒んでいた大妃の首の腫瘍や様々な方をミョンファンの妨害や陰謀からも逃れて治療しました。そして顕宗から、正三品の位(上から5番目)王の主治医に任命されたのでした。
ドラマ『馬医』の30話でクァンヒョンは幼い世子の頬や喉の腫瘍の手術をしますがその世子こそが後の第19代王様であり、あの『トンイ』でトンイとの恋愛がとても素敵に観るものをキュンキュンさせた粛宗だったのです。
ドラマ『馬医』では粛宗が幼い世子時代にがクァンヒョンの治療で助かった事での登場でした。
第19代王様として粛宗として即位してからのクァンヒョンは顕宗の御医として、医院の改革や変革を成し遂げた後、妻のチニョンと子供と一緒に宮廷を離れ、衿川(クムチョン)の県監(ヒョンガム)として民や馬の治療をしながら、民と共に生きる道を選んだのです。
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