トンイの息子クムは21代王英祖でイサンの祖父!?

こんにちは、まーこです。今回は、あの名匠イ・ビョンホン監督が手掛けた、韓国ドラマ『トンイ』の中に出てくるトンイの息子クムの事を書いてみようと思ました。

『トンイ』は初めて放映されてから10年以上経ちますがいまだに人気の高い韓流時代劇なんですね。

まーこも『トンイ』は、大好きで何度も観たドラマですが、なんと言っても主人公トンイの子供のクムの可愛らしい姿や動作に魅了された方も多かったのではないでしょうか?

主人公のハン・ヒョジュ演じるトンイは、貧しい賎民から19代王の粛宗の側室になり、そして朝鮮第21代王英祖の母として波乱万丈の人生を歩んだ実在の人物 淑嬪・崔(スクピン・チェ)氏をモデルにしたお話しです。

トンイの凛とした姿は、私たち観る者にも人生の厳しさを学ばせてもらうような感覚になりました。是非、まだご覧になって無い方は、一度トンイの世界に浸って下さい。ハマる事間違いないですよ。





 

トンイの息子は死ぬ?死なない?

トンイのモデルの淑嬪・崔(スクピン・チェ)氏は朝鮮第19代王の粛宗の側室になり、3人の息子を産んでいます。

記録では最初の息子は1693年10月6日に生まれ名前を永寿君(ヨンスンクン)と名付けたそうです。父親の粛宗も初めての子供が男の子でトンイのドラマを観てもわかるようにさぞ喜んだと思います。

しかし、この永寿君(ヨンスンクン)は同じ年の12月13日のわずか2ヶ月と言う短い命で亡くなってしまったのです。粛宗もトンイの落胆と悲しみは察するに余りある程だったと思います。

そしてその翌年にクムが次男として生まれました。やはり粛宗とトンイの喜びは計り知れなかったと思います。

その時にもう一人の側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)が1688年には既に男の子を生んでいてその子が世子としていたのです。

しかし、史実の粛宗はわかりませんが、ドラマの中でのトンイは、自分の子供を王にしたいと言うような欲はなかったように思いますが実在の淑嬪・崔(スクピン・チェ)氏はどうだったかはわかりませんね。

ただ、トンイのドラマには3人目の息子の事は出ませんでしたが実在の淑嬪・崔(スクピン・チェ)氏は3人目の息子を1698年の7月に産んだのですが、その子も産まれてすぐに亡くしてしまい、名前も記録に残っていないようです。

そして、張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子が世子から1720年に朝鮮第20代王の景宗(キョンジョン)として即位しましたがまさかの4年後に亡くなってしまったのです。そして、1724年に世弟だったトンイの息子クムが第21代王英祖として即位したのでした。





 

トンイの息子は21代王英祖

トンイの息子クムは、李氏朝鮮王朝第19代王粛宗の次男です。名前はヨニングン(クム)です。

長男はあのチャン・オクチョンの息子の第20代王の景宗でした。子供の頃は病弱では有りましたが、世子の景宗はクムにとっては優しいお兄ちゃんだったみたいですね。(粛宗の側室だった母親のトンイとチャン・オクチョンは生涯敵同士のようでした。)

そして、景宗が亡くなると、朝鮮王朝代21代英祖として王世弟だったクムは即位します。しかし、母トンイは息子の晴れ姿を観る事無く、亡くなっていたのです。

ただ史実上、実際のヨニングンは母親のトンイが賎民と言う低い身分だった為にかなり、不等な扱いを受けたそうですね。

しかし、英祖は83歳まで王様として様々な苦労をしながら精力的に働いて来た、王様として在位52年と李氏朝鮮王朝の中で最も長い王様だったようです。英祖を題材にしたドラマや映画もたくさん有りますね。



トンイの息子クムの名場面

まーこはハン・ヒョジュが演じたトンイが大好きで、何度も繰り返し観ましたが。なんと言っても 息子のクムと母親のトンイとの親子としての掛け合いやトンイがクムへ母親としての言葉掛けなど、

心に響く言葉やクムの子供らしい、しぐさにまーこもその可愛さにメロメロでした。

まーこが『トンイ』を観て心に残った名場面をお話ししたいと思います。

クムは賎民の貧しい子供たちと屋根に上り使節団が来るのを見物していました。しかし、藁葺の屋根の為に崩れてしまい落ちてしまいましたが、そこには両班が居ました。

怒った両班は賎民の子供たちを殴ります。クムは両班に儒教の書の太公望の一節を言って弱い者を殴るとはけしからぬと言いました。

両班たちは、子供がそれを知っているのはと驚きましたが更に怒ろうとするので、クムは堂々と「私は王子だ!」と言います。そこに居た儒教者も両班たちも誰も信じることは無く笑いが起こるのでした。

そこへトンイが現れます。トンイはクムをかばう為に仕方なく自分は側室だと名乗りますが、やはり集まった民衆たちは信じません。しかし、運よく王宮の武官が現れてそれが本当のことだと知るとそこに居た儒者も平謝りに謝っていましたが、クムの堂々とした態度と知識には脱帽でしたが、トンイも弱い者をかばった事を褒め、クムの頭を撫でたのです。トンイとクムの親子の愛が伝わる場面でした。

クムは賢く、王様も世子と一緒に勉強するように勧めますが、それにはトンイも反対し王様にも進言します。そして、雲鶴先生にクムの勉学観て頂こうと決めていました。

そして時間よりも早く行き、雲鶴先生の部屋を片付けます。クムはそんな時でも先生に「先生は何故、こんなに部屋を汚くしてるのですか?」と聞きます。先生もたじたじでした(笑)しかし、勉強をするクムは楽しそうに学んでいます。先生は不思議に思い何故、そんなに楽しそうに学ぶのかをクムに聞きます。

するとクムは「知識や知恵、力は自分の為に使うのではなく、民の為に有るのだと、天が与えた才能は自分の為ではないと」言いました。雲鶴先生も驚きますよね。

そして王妃がクムを養子にするとの話を聞き、クムの為に王宮を出る覚悟をしたトンイ!

トンイは王宮を出て民の為に生きることが自分の使命だと以前から考えていたのですね。王様の反対を押し切り、王宮を出たトンイでしたが、トンイの夢は民と共にある事でした。まず、トンイが最初に行った事は、自分の住んでいる屋敷の塀を壊すことから始めました。そして多くの民がトンイに相談に来ました。ある日、少女が、自分の父親が無実の罪で役人に捕まってしまったと、トンイに助けを求めに来ました。その時もトンイは諦めず知恵と勇気で捜査をし、仲間を集めてとうとう父親を助け出しました。

そして、最終回、トンイの誕生日に助けた父親とたくさんの民たちで建てた東屋を贈り物としてくれました。トンイは驚きながらも感謝しました。

その姿を皆に慕われている姿を観ている人物がいました。そうです。クムが師匠の雲鶴先生とその母の姿を観ていました。トンイはクムに自分の歩く後姿を見せて学ぶものを得て欲しかったのたと思います。

雲鶴先生もクムに言いました。「どんな偉人の言葉よりも大事な教えなのですよ」と。クムも「母上が出宮した理由がわかる気がします。私の母上でいてくれて感謝します」と言います。自分の子供にそんな事を言われたら、嬉しくて感無量ですよね。( ;∀;)

またその姿を王様も内官と一緒に遠くからみています。

トンイは愛が溢れたドラマで、本当に素晴らしくて素敵なお話しです。





トンイの息子が起こした米びつ事件とは?

ドラマ『トンイ』のモデルになった淑嬪・崔(スクピン・チェ)氏を母に持つ、朝鮮第21代王英祖は52年と言う500年続いた朝鮮王朝時代に最も長く王座に就いていた王様です。

そして英祖と言えば我が子を米櫃に閉じ込めて餓死させてしまうと言う歴史上、有名な米櫃事件が有りました。英祖には2男7女の子供がいたのですが皆さん早くに亡くなってしまうのでした。

英祖の長男は1719年に靖嬪李氏と言う側室が生んだ孝章(ヒョジャン)でしたがこの孝章は9歳の時に病死してしまいました。そして1735年に生まれたイソンが王位継承のあった思悼世子です。

イソンは次男でしたが兄の孝章が早く亡くなってしまったので2歳で世子になったのです。英祖もイソンが生まれた時は40歳も過ぎていた為、さぞ大事に育てたとおもいます。しかし、思悼世子(イソン)は27歳の若さで父親の英祖の手により、米櫃に閉じ込められて生涯を閉じました。

若いイソンの当時は素行も悪く父親である英祖の悩みの種だったのです。

そんな時に老論派の中に「イソンが謀反を起こそうと企てている」と英祖に耳打ちをした者がいました。英祖は怒ってイソンに自決を言いつけましたが、イソンは頭を床につけて謝りましたが、英祖は許しません。

臣下に言って米櫃を持ってこさせます。その中にイソンを入れて、食事も水も与えず、どんな事が有っても開けてはならぬ!と部下に言いつけます。そして8日間、一度も米櫃を開ける事無く、暑い中、外に置いておきました。

そして8日目にやっと米櫃の蓋を開けた時には、イソンはもう絶命していたのです。世子イソンは謀反の濡れ衣で餓死と脱水で亡くなってしまい、それは英祖が自分の手で息子を殺した米櫃事件ですがあまりにも惨い事件でした。( ;∀;)



 

 

トンイの息子はイサンの祖父になった!

ドラマ『トンイ』に出て来るトンイの息子ヨンサングンことクムはドラマでは素直で利口で性格の良さが際立って、観る者の心を掴む存在でした。

また母親のトンイも厳しいながらも愛情いっぱいで育てて、人生の善し悪しをしっかり教えた賢い子供のイメージがありました。

クムは将来朝鮮第21代王の英祖になる方だったのですね。様々な英祖を題材にしたドラマや映画を観ましたが、トンイのクムと英祖を繋げるのはなかなか難しいと思う程のドラマもあったと思います。

その中で、まーこも観ましたが、『イサン』と言うドラマがあります。『イサン』も『トンイ』と並ぶ名作ドラマと言っては過言ではない位の面白い、歴史がよくわかるドラマです。そして、ドラマ『イサン』の主人公のイサンが『トンイ』の主人公のトンイの息子クム(英祖)の孫だったのですね。

イサンの祖父と言えばやはり米櫃事件で自分の息子、イサンの父親を老論派の陰謀とは言え、自分の意思で殺してしまった。非道な父親のイメージがあります。まーこもドラマ『イサン』や『根の深い木』や『大王の道』等、英祖が出て来るドラマや映画には必ずと言っていい程、この米櫃事件が出て来ます。

誰もそばにも寄れず世子を助けるとは出来ませんでしたが、唯一、イサンは何とか自分の父親を助けたく思ったが11歳だったイサンはどうすることも出来ず、父を救えなかった無念さを胸に王位継承者になりました。

父親の思悼世子が米櫃の中で亡くなる前にイサンに「聖君になれ!」と言う言葉を残しています。祖父の英祖は後に派閥闘争に巻き込まれ、息子の思悼世子を自分が殺してしまった後悔で孫のイサンには、王になる教育を英祖自ら行ったそうです。

確かに歴史的には息子を米櫃に入れて殺すような事をしてしまったが、やはり英祖は名君としては名高い立派な王様だったと言う。さすがトンイが育てた息子ですね。孫のイサンも朝鮮王朝時代27名の王様の中で、やはり名君として、慕われた王様だったようですね。

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