こんにちは、まーこです。今回はインス大妃の孫の第10代王の燕山君とインス大妃の因縁の関係について書きたいと思います。インス大妃の息子は第9代王の成宗です。インス大妃のドラマは全てではないと思いますがほとんど実話に基づいているようですね。
残酷なシーンも有りますが、元々はインス大妃と尹氏の不仲から、始まり、罪のない人も燕山君に次々と殺されてしまい、本当に酷い王様に成り下がってしまったようですね。成宗はなぜ、幼い頃から性格がねじ曲がっていたような燕山君を世子にしたのでしょう。
歴史に残る大惨事を起こし、血も涙も無い冷酷な王様になるのを成宗も思いも寄らなかったのでしょうね。
インス大妃は、成宗の正室だった尹(ユン)氏の事をインス大妃は『育ちも悪いが性格も悪い』ととても嫌っていたようです。なぜインス大妃は尹氏をそんなに嫌っていたのでしょうね。
もし、インス大妃が尹氏を理解して良い姑嫁の仲だったら、歴史は変わっていたのかもしれないと思いました。燕山君も朝鮮王朝の27人の王の中では最悪の暴君として名高いですが、尹氏が廃妃になり、死罪になる事なく、普通に王妃として過ごしていたら燕山君も聖君になっていた可能性はゼロではないような気がしました。
確かに尹(ユン)氏は側室から正室になりましたが、自分が正室になったとたんに成宗の側室を呪い殺そうとした事は有名な話ですから、インス大妃に嫌われても仕方が無かったのかな?と思えるんですけどね。
インス大妃はなぜ燕山君の母、尹氏を嫌っていたのか?
これも実話のようですが、インス大妃の息子、第9代王の成宗の最初の正室、貴人権氏を病の為、亡くしてしまいました。その為、側室から次の王妃を選び、尹氏が選ばれましたが、自分が正室になったとたんに成宗から深く寵愛を受けている側室が気に入らなくて、呪いや毒薬をもって殺そうとして、それを成宗に見つかってしまうのです。
その為、成宗も尹氏に対して不信感を持ったのか、また母親のインス大妃も尹氏を嫌っていたのを理由に成宗も尹氏のもとを訪れる事は無く、しばらく遠ざけられてしまいました。それはそうですよね。尹氏は独占欲が強かったのかもしれませんね。
成宗の立場からしたら、いくら正室でも嫌気がさし、遠ざけますよね。それを知ったインス大妃は、成宗の母親として怒るのは当たり前だと思いますよね。もし、うちの嫁が独占欲強く息子を束縛し、息子の気に入っている側室を殺そうとしたら、嫌うどころでは無く、気持ち悪い存在になってしまうの間違いなしですよ~(-_-;)
その上、ひとり寂しく暮らしているうちに精神的におかしくなったのか、不憫に思い久しぶりに訪れた成宗の顔を引っ掻いてしまうのでした。当時は王様の顔を引っ掻いたり傷をつけただけでも死罪になる程の罪だったのですが、インス大妃は激怒し、尹氏を宮廷から追い出しました。尹氏は朝鮮王朝時代の初めて廃妃になった王妃だったのです。
そして、実家に戻った尹氏は反省し、慎ましく暮らしていたのですがある日、成宗は使者に廃妃尹氏の様子を観に使いに出します。成宗はもし尹氏が自らを反省し質素に暮らしていたら、王宮に戻してあげようと思っていたのです。
質素に慎ましく暮らしていたのを見届けた使者は成宗に報告しようと王宮に向かう途中、インス大妃が待ち伏せし、使者に『廃妃は反省をするどころか、遊び惚けて、傲慢に暮らしていました』と王様に報告するように言います。
成宗は嘘の報告を鵜呑みにしてしまい、尹氏を死罪にしてしまうのでした。
インス大妃が使者に王様には嘘の報告をするように言わなければ、
もしかしたらその後、仲の良い姑嫁として過ごせたかもしれないですよね。尹氏が生きて大妃になっていたら燕山君の人生も変わり、性格も変わっていたかもしれませんね。
インス大妃は孫の燕山君も嫌っていたのか?
そうなんですね。まだもの心がつかないうちに母親を死罪と言う形で失い、継母の貞顕王后に育てられたのですね。しかし、継母の貞顕王后も祖母のインス大妃も燕山君に冷たく接し、どうやら、あまり愛情をもって育てられなかったみたいですね。
そこは可哀想だと思いましたが、かなり性格が歪んで育ったようです。これは有名な話しですが、
ある時、燕山君を成宗が庭に来るように呼んだのですがその時に成宗が可愛がっていた鹿が燕山君の手を舐めたそうです。
普通なら動物が寄って来て自分の手を舐めたら、子供心にも鹿に対して可愛いと思っても不思議ではないと思いますが燕山君は父が可愛がっている鹿とわかっていながら、思いっきり蹴っ飛ばしたと言うではないですか、成宗はそれを見て、燕山君をきつく叱り成宗には反省して謝ったそうですが、成宗が亡くなり、燕山君が即位て直ぐにその鹿を殺してしまったそうです。今なら動物愛護協会が黙っていないですよね。( ;∀;)
また即位してからも王宮にいる鹿を毎日、撃ち殺し食べてしまうそうです。
また、王位に就く為に幼い頃から帝王学を学びますが、その恩師が厳しかったからと即位した直後に処刑してしまう程の非情さや残酷さがありました。それをそばで見ていたインス大妃は燕山君には余計に嫌になっていき、孫の中でも燕山君は冷遇されていました。
しかし、燕山君の他に跡取りがなく、7歳で世子に冊封され、その後1493年の燕山君が18歳の時に成宗が亡くなり、王位に就きましたが世子時代にすでに暴挙ぶりが爆裂し成宗もかなり手を焼いていたようでした。しかし燕山君が幼い時に母親を亡くした不憫さを成宗は感じていた為、世子にはふさわしく無いと思ってもそれは言えなかったようですね。
せめて、祖母のインス大妃が世間のおばあちゃんのように優しく燕山君に接していたら、暴君と言われる程、ひどい王様にはならなかったのかもしれないと私は思いました。ある意味、母親が死罪になり、愛情を知らずに育った燕山君こそ、 悲劇の王様だったのかもしれませんね。
インス大妃は孫の燕山君と最後まで分かち合えない仲だった!
そして、継母の貞顕王后から晋城大君(チンソンテグン)が生まれ、燕山君とっては更なる不幸の始まりでした。貞顕王后はもちろんの事、インス大妃の愛情も全てが晋城大君(チンソンテグン)に注がれてしまい、益々、燕山君は孤独になりましたが、それでも即位したばかりの頃は貧民を救済しようと『国朝宝鑑』や多くの書籍を編纂し女真族等を阻みお城を築いたりと安定した政治を行ていたそうです。しかし、治政から4年くらい経つと政務をやらず遊び惚ける様になってしまったのです。
それを諌言する功臣たちまでことごとく処刑したと言うのです。自分の功臣まで処刑するなんて本当に狂っていたとしか思えない程の酷い王様でしたね。
そして残酷な甲子士禍の粛清事件を引き起こしたのですね。まさしく狂的な事件でした。
燕山君が生母(廃妃尹氏)の賜死の経緯を知り、亡き母の遺品をみて逆上し、母の賜死に関わった全ての関係者を探し出し、たくさんの方が死刑、流刑にされたのです。
そして史実では尹氏を廃位させ死に追いやったと言う事で燕山君から残酷な虐待を受け亡くなったとありますが、ドラマでは、粛清事件の甲子士禍は容赦なく続いていきます。廃妃尹氏の復位に賛同していた大臣たちも容赦なく拷問によって殺されてしまいます。
また、王命により尹氏に賜薬を渡したイ・セジャは尹氏に同情的だったにもかかわらず処刑されてしまいます。そして既に亡くなっているハン・ミョンファンらも墓を掘り起こされ、棺斬屍刑に処されたのです。
そして尹氏の追尊を行う事を決めて、祭壇を創り母を陥れたインス大妃にひと言で良いから母に謝って欲しいと謝罪を求めますがインス大妃は
『王が死ねば大妃になるが尹氏にはその重責は無理だと思った。だが命を奪ったのは間違いだった。生かしておけば成宗はお前を王にはしなかった。母親を奪った上に王位まで奪っては可哀想だと言う父親の愛から王にしたのよ』
と言いましたが、また燕山君は手を合わせインス大妃に謝罪を求めましたがインス大妃はきっぱり拒否をしました。
その夜、尹氏がインス大妃の夢に出てきたのです。
そしてインス大妃は69年の生涯を閉じたのです。
廃妃尹氏の追尊式を行う前日だったので、燕山君が半狂乱になり、祭壇を壊すシーンは何かに取憑かれたようでしたね。どうやら、追尊式をインス大妃に見せて自分も罪人の子と言う汚名を晴らしたかったのではないかと思って観ていました。
母親を想う気持ちは立派だと思いますが、それにしても何から何までやりすぎで、燕山君にたくさんの人が殺されてしまいましたが、殺された人たちも子供や家族がいて、燕山君が尹氏を想う以上に殺された家族の憎しみが燕山君を覆ってしまうのがわからなかったのかしら!と思いますね。
残酷なシーンもたくさんありましたが、史実に添ったドラマなので朝鮮王朝時代の歴史の事がよくわかりました。ドラマの面白さに加えて知識が広まったような感じがしました。長いドラマでしたが、あっという間に観終わってしまいましたが実に面白かったです。
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